煤け四六

傑作ロボ、発進!

いつかまた楽しく

ここ六年は私にとっての推しキャラを描くことで心の平穏を得ていた。

特に前半二年ほどは推しを描いていないとつらくてしょーがない、絵が描きたいというより推しを描いている時は楽になれるので描いていた。

中頃からしばらくは、勝手に同志と思える様な関わりを得て、絵を描くこと自体も楽しくなった。その頃が一番枚数も増えて上達もしたのではないかなあと思う。

ただ辛いときにも少し楽になれるというだけだから、推し以外に描きたいものはあまりなかった。でも関わりが出来たおかげで以前よりも私のそれはネガティブな理由ではなくなっていると思う。ありがたいことだし、出来れば推し以外の接点を持ち続けたいという欲が出るほど、私にとってかけがえのないものだと思っている。

今は正直、絵から離れていたいという気持ちがある。

推しを描くのは楽しいはずだけど、この二年くらいに引っかかった諸々が消化できない。

しかも推しと直接関係のないことが一番ネックになってしまった。

私の好きなとあるゲームを、推しキャラを手掛ける公式スタッフさんが自分のわがままで必要以上の悪評をつけたり(他人にどう思われるかが怖くなったという理由で削除なさっておられたが、先方スタッフの名前を出して「反省してこうするべき」と訴える内容で、感想の域を超えていた)、逆にそれが楽しいという立場の人が現れると「自分はぼっちでコミュ障だからあのゲームには住むところがない」と被害者ぶって引退詐欺したりするのをどうしても飲み込めない。

そのゲームのことを悪く思う人自体が駄目なのではなく、ソロの私もはみ出さずに安住出来た作品を、同じソロ勢がソロには住めない駄目なもののように言われたことが辛かった。他人から変だ変だと言われ続け付き合いを最小限にしてきた私も他人と適度に距離を取って遊べる場所なのに、私のようなものはそのゲームに存在しないものとされることがとても苦しかった。よりにもよって推しの姿を手掛ける人に。それを無邪気に励ます人が何人もいる。

推しのことは好きだし他のものにすげ替えることはできない。原作もなんやかんやで誤りのあった部分も飲み込み並行して続けている。結局ゲームで遊ぶのは好きなので。

でも今はそれらを人前に出していても私にとって何も楽しいことも幸せなこともないように感じてしまった。

ずっと苦しみ続ける気がするけど、私のことだから、いつかまた以前のように、あの時何も悩まず推しを描けた頃のように楽しく過ごせたらいいな思う。

 

今の困りごとは苦しみから逃れる手段の推しを描くことが苦しみと直結してしまって代替もないのでゲームをしまくるしかないことです。まあ、推しは推しのままだしいつかなんとかなるだろ。