煤け四六

傑作ロボ、発進!

何かの配役

「この人は自分より弱そうな、付け入る隙があって自分より愚かそうなものが好きなんだろうか?」と感じたことは結構あって、でも、思っても口には出さないようにしている。

フィクションのキャラクターに対する思い入れの話に長年触れていると、つい、『対象となるキャラクターは語り手の自分を絶対に超える存在ではない』という目線の人っていっぱいなのかなと思ってしまう。その人から聞く時のキャラクターは、常に何かから見下されているアングルで実際より間抜けや子供として描写されているように感じる、というか……。

嗜好自体に否というつもりはないんだけど、私はどちらかというと、いつまでも好きなものを見上げていたいタイプなので、キャラクターの短所をあえて愛でることはあまりない。そもそも短所を短所として認識していないケースが多い。何故キャラクターが駄目出しされるのかもよくわからなかったりする。可愛さも表面の仕草的なものに限定されてしまう。なので前述したような嗜好の人とはかなり視点が違うのだけれど、そういう嗜好の人が仲間だと思って歩み寄ってきてくれるケースもあり、いつも「よくわからない……」と感じていた。

私が「かっこいい」と思うところほどそれをキャラクターの『かっこわるさ』として描写する人と何を共有できたのだろうか。私もその人にとってはキャラクターと同じで何かの配役に過ぎなかったのではないか。