煤け四六

傑作ロボ、発進!

季節の節目で分かつ

好きなことを仕事にしたら苦しいかというとたぶん私は苦しい。

私はあまり生きるために生活を送ることが好きではない(痛さや苦しみは嫌だがいつか死ぬのが怖いというのにあんまり共感できないタイプ)ので、何か『余計な』楽しみを作らないとしんどい。私はあってもなくてもいいものが結構好きだし、ただ楽しいとか面白いから遊べるだけのことが一番好き。

趣味を仕事や生活を回すための歯車にしたくないというのは、私は確か 10歳くらいに自覚したものだ。
東京タワーあたりで何かのイベントの時に子供向けのセル画を塗る体験ブースがあって、当時好きだったアニメのセル画を塗らせてもらって、そのスタッフの人に(あくまで子供向けのリップサービスとして)絵の仕事が出来そうだと誉めていただいた。でも空気も読まず気の利かない子供の私は「仕事にするのは嫌」とハッキリ言ってしまったことを覚えている。あとで親から少し注意と言うか正直すぎると窘められたので記憶に残った。

私の好きなことは、あくまで私が耐えて生き延びた先にある最高の贅沢でご褒美で無駄であってほしい。
そして、自分がそれに触れられなくてもこの世はそんな無駄で溢れていてほしい。溢れていればどれかには触れられることもある。
(「自分にとって『余計』」と考えるのは私の思い込みであって、現実は自分の中で必要なことになっているのだろう)

私がつらいのは仕事ではなくて毎日の生存なので(起きて飯食って寝て……と自分の健康と安定のためだけに生きていることが疲れる)、いつでもその日の気分だけでいい加減に過ごしたいという気持ちが強い。決まった時間に寝て起きるのも結構ストライキしたい。ストライキ

8歳の頃に、一時的に次に住む場所が決まってなくて何日かの間その場その場で適当に過ごしてた時の謎の解放感が忘れられない。それは子供だったからで、一般的には良い事ではなかったかもしれないけど、毎日をきちんと生きるのは私には結構しんどい。
始まりは幼稚園に行く時の朝が目覚めが毎日悪かったところからかもしれない。幼稚園自体は一緒に遊ぶ友達も沢山出来たし好きだった。でも夜寝て朝起きるというのがどうしようもなく苦手だった。行けば苦しみを忘れるくらい楽しいのはわかっていてもそれを諦めてもいいくらい苦手だった。

今は夕方起きて夜に仕事に行くのでそういう部分のストレスはかなり減った。昼間の仕事をなんとか続けていた時もとにかく朝起きるのがしんどくて仕方がなかったし一人で起きるのは不可能なくらいだったのでいつも人の手を借りていて、自信もどんどんすり減った。
それで身に染みてしまった、規則正しい就寝起床に対する強迫観念が今も残っているので、起きる時間は固定だけど、寝るタイミングはあまりこだわらずに眠くなったら寝たい時間に寝ることにした。

おそらく辿り着く先は楽ではないかもしれないけど、でも今自分に優しくしたぶんだけまあもうちょいやってこうかなって思える気がするので、ギリギリ健康体を維持してストレスためるより、ぐうたらでもいつも機嫌のよい私に助けてもらったほうがマシ。