煤け四六

傑作ロボ、発進!

なるようになる

昔、はてなグループにひとりグループを作って日記を使っていたころ、あまり良くない感情の話を、そういうのを読み慣れてスルーするかやや共感するか程度の距離感の人がいるような場所を使いたい(はてなはあまり優しくもないしいいか)と思って、もやもやなどをつけていた。見られても構わなかったので。

そのあとは Twitter がそれに向いていたので Twitter で適当に書くほうが楽だった。

今は、そういうことをつけておきたい場所が思いつかない。「出来れば良いことを書いて広めましょう」的なものは沢山あるけれど、「別に宣伝したいわけでもないが自分の外に野ざらしにしたい」みたいな気持ちのやり場が減ってしまった。

繰り返しの話になってしまうが、 Twitter でネットと関係のない愚痴を書けば、二三回言葉を交わした程度の人や、さらには私からは接点を持ったことがなくただ私を一方的にフォローしていただけ(私からは見えていない)程度で、まるで日々付き合いのあるような面をして「それは私のことなのか」と言ってきたりなど、とにかく私と一緒に出かけたことも遊んだこともサシで通話さえしたこともないようなレベルの人が距離のない感覚で私のプライベートなぼやきをすべてインターネット上の公開されている、その人にまつわる何かに当てはめて解釈していることが不愉快だし苦痛に感じる。私の TL にそういう人がいるわけではないし、フォロワーがいるのが嫌とかではないのでただ見ているぶんには苦痛ではないが……。書くことに億劫になるとどうでもよくなってしまう。相手が誰だかわからないように書いているから自分じゃないかと思うんでしょうかね。私は誰にも誰だか当てさせたくないからそうしている。

他人のどんな感情も、広めるために存在するのではなくただそれぞれに野ざらしだから、共感できて好きだった。